2008年6月14日土曜日

藤の花を求めて

 NIKKEI NET生活・グルメコーナーの記事を取り上げる。コーナーの名称は、「麻生圭子の茶碗眼鏡で見た京都」である。
 5月2日付記事で、タイトルは「藤の花を求めて」である。
 記事タイトルにリンクを張っておくので、興味のある方はチェックしてみるとよい。
 記事は写真が豊富に取り入れられており、写真を追うだけでも楽しめるかもしれない。。。

 記事では、「それに私たち以外、誰もいなかったんですよ。桜の頃とは大違いです」と触れられており、人も少なくゆったりと楽しめる様子が伺える。
 30余年も昔のことであるが、京都時代に、法然院の紅葉が一日一日変化していくのを人影の少ない環境の中で楽しんだことがあるが、「藤の花」も同じように楽しめるのかもしれない。。。
 記事を引用しておく。
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 記事引用
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 3月の末、醍醐寺で花見をしたときに、気になっていた三宝院、憲深林苑の藤棚。例年、5月のはじめに咲くと聞き、連休のはじまりの頃、これを見に行くことにしました。源氏物語の藤壷の話を読んだからかもしれません。今年こそ頭上にかかる雲のような藤の花が見たい、そんな想いにかられたのです。
 藤は平安の頃の貴族たちにもっとも愛された花のひとつとか。

 葵祭の際の斎王代の御輿(およよ)の庇にもこれが飾られています。夜明け前の一瞬のような色合いは、何とも言えぬ上品さです。

 …(中略)…

 醍醐寺は、笠取山(醍醐山)全体がお寺になっている、真言宗醍醐派の総本山。今でもその広さは10万坪とも15万坪ともいわれています。創建は平安時代の874 年。醍醐、朱雀、村上の3代の天皇の帰依により、上醍醐から下醍醐までの壮大なる大伽藍が完成したのだそうです。

 …(中略)…

 ちょうどひと月ぶりの憲深林苑。しだれ桜はすべて葉桜になっていました。
醍醐寺 理性院 だらり藤の花 その一角に、淡く浮かび上がる藤の色。しだれ桜の巨大さに比べると、思っていたより、小ぶりです。まるで舞妓さんの髪飾り。といっても花の房、長いものは30センチはありそうです。藤棚の下に入り込むと、豆科の植物の匂い、若々しい香り。透き間から見る若草色の庭もまた愛らしく、まもなく訪れる立夏の種を見つけたような気分になりました。

 …(中略)…

 ちょうど特別公開の期間中で、障壁画を見ることができました。土佐光起、光成父子の作だそうですが、私が興味深かったのは、その絵に描かれていたもの、そしてその理由でした。
 藤の花の額縁から氷室の池を望む「想像上のものではなく、畿内の、四季折々の名所が写されていますが、これは幕府の許可なしでは外出もままならなかった明正天皇を、お慰めするために描かれたと言われています」
 彼女もまた悲劇のヒロインだったのですね。

 …(後略)…
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 Written by T. Satoh on 14th Jun., 2008

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